文秀少年はいたずらが大好きでした。とりわけ大人達を驚かすいたずらが大好きです。やれこうしろああしろと口やかましい大人達が、素っ頓狂な声を上げて驚く顔を見るのはとても面白いのです。いたずらをするとよけいに説教されるのですが、懲りた例しがありません。
 今日は森を通りかかる猟師を脅かしてやろうと、途中の道で待ち伏せしていました。と、そこへ、知らない顔の子供が森の奥から走って来るではありませんか。余所の村の子供でしょうか。真っ黒な大きな目をした男の子です。
 彼は誰かに追いかけられてでもいるのか、時々後ろを振り返りながら息せき切って駆けてきます。文秀がいたずらを仕掛けて楽しい相手は、何も大人に限ったことではありません。文秀はすかさずその子の前に飛び出すと、両手を掲げて襲いかかるようなポーズで行く手を塞ぎ、恐ろしい叫び声をあげました。
「ぐばああっ!!」
「きゃーっ!!」
 突然目の前に立ちふさがった影に驚いて、男の子は悲鳴を上げて尻餅をつきました。いたずらが成功した文秀は得意げに大声で笑いました。
 男の子は目に涙を浮かべて怯えたように目の前の人物を見上げましたが、それが自分と年の変わらぬ子供だとわかるとホッとしたようです。すると今度はからかわれたことに怒ったのか、地面に座ったまま恨めしそうに文秀を見上げました。
 文秀が笑うのをやめて手を差し出すと、男の子は素直にそれに掴まって立ち上がりました。よく見るととてもかわいらしい顔立ちをしています。年の頃は文秀より二つか三つ下のように見えました。
 男の子は文秀が見たこともないような奇妙な格好をしています。ここら辺の村の子ではない様子です。
「おまえ、どっから来たんだ?」
 文秀が訊ねると、男の子は森の奥を指して「むこう」と答えました。そして自分が走ってきた道の方から追っ手が来るのではないかと、怖々と様子をうかがっています。
「誰かに追いかけられてるのか?」
 男の子はこくんと頷きました。
「怖いやつか?」
 もう一度頷きました。落ち着き無く後ろを気にしながら、庇護を求めるように少しだけ文秀の側に近寄りました。その様子が、少年の義侠心をくすぐりました。
 文秀はいきなりその手を掴んで、自分の村の方へと歩き始めます。引きずられるようにして歩き出した男の子は何事かと文秀の顔を窺いました。そちらをちらりと見返りながら、視線に答えるように文秀は言いました。
「そんな奴、村に入っちまえば安全だって。びっくりさせたお詫びにいい隠れ場所を教えてやる」
 怖い奴というのがどんな人間かわかりませんが、文秀はこの子を桂月香の屋敷にかくまってもらおうと考えました。その間に、解慕漱と協力して追いかけてくる奴を返り討ちにしてやるのです。解慕漱は喧嘩は文秀よりも弱いけれども知恵があるし、これまでも二人で力を合わせれば大抵のことは何とかなったのです。
 男の子は不思議そうに目を瞬かせて文秀を見ていました。その細い首にきっちりと太い革のベルトが巻き付いています。きっとその「怖い奴」がやったんだろうと文秀は思いました。もしかしたら、子供をさらって売り飛ばす奴隷商人という奴かも知れない――この子はどこかの家からさらわれて売られそうになったのを、隙を見て逃げ出してきたのだろう。文秀はそんなふうに想像しました。
 二人はやがて駆け足になり、森を走り通しました。木々のトンネルを抜けると、すぐ目の前に村の入口が見えてきます。文秀は後ろを警戒しながら走ってきましたが、森の奥から現れるものはついぞありませんでした。
「どうやら、誰も追って来ないみたいだぞ」
 二人は村の入口の所でいったん足を止めました。文秀の言葉に男の子も安心したようで、初めて笑顔を見せました。笑うと花が開いたような印象になります。文秀はそれがとても気に入りました。
 二人はつないでいた手を離し、その場でしばらく息を整えていました。男の子は文秀を信用したのかわかりませんが、一言だけ「ありがとう」と囁きました。
 はにかむように俯いた男の子を見つめながら、ずいぶん大人しい奴だな、と文秀は思いました。初めにちょっとしゃべった以外、ここまで来る途中も男の子は殆ど口を利きませんでした。人見知りする奴なのかな、とも思ったのですが、文秀はその首の皮ベルトがひどく気になりました。きつく巻かれたそれのせいで、うまくしゃべれないのではないかと思ったのです。
「なあ、それ、とれないのか?」
 指さすと、男の子ははっと顔を上げて自分の首に触れました。
「おれがはずしてやろうか」
 見たところ太くて頑丈をそうではありますが、特に仕掛けもない普通のベルトのようです。ただ留め具が後ろについているので、自分ではうまく外せないのだろうと思って文秀は言いました。そうしたら男の子は喜んでまたにっこり笑うと思ったのです。
 ところが男の子は困ったような顔になって、首を横に振りました。そればかりか後退って文秀から離れようとします。
 文秀はなんだかむっとして詰め寄りました。
「なんでだよ。窮屈だろそれ。首輪みたいだし」
 せっかく逃げ出してきたのに、と文秀が手を伸ばすと男の子は嫌がってさらに離れていきます。
「余計なお世話、です」
 迷惑そうな男の子の言葉に文秀は頭に来て、意地でもそれを外そうと思いました。ぱっと大きく足を踏み出した文秀に、男の子は慌てて身を翻そうとしましたが、間に合いません。
「だ、だめっ……!」
 取っ組み合いで文秀に勝てる子供はいません。男の子は簡単に押さえつけられてしまいました。男の子に馬乗りになった文秀は首のベルトに手をかけると、一息にそれを外してしまったのです。
「ほらっ、とれた――」
 勝ち誇った文秀の目の前で、ごろんと男の子の首が地面に転がりました。


「うわっ!!」
 文秀は自分の悲鳴で目を覚ましました。どうやら執務室でうたた寝をしてしまったようです。
 所定の業務を終えて、今日はもう帰るだけでした。ただ、今夜は城下町で祭りがあるので、元述と連れだって出かける約束をしており、彼が来るのを待っているところでした。
「なんて夢だよ」
 文秀はげんなりとして、懐から煙草を取り出しました。待っている間退屈なので、西洋の怪談を読んでいたのが影響したのでしょうか。眠る前に読む本は選ばないといかんな、と煙草をぷかぷかさせながら文秀はぼんやり思いました。
 やがて、廊下を足音が近づいてきました。歩調でそれが元述だとわかったので、文秀は立ち上がり扉の方へ歩きました。
 扉の向こうで足音が止まりました。こつこつと戸を叩く音が聴こえます。
「開いているぞ。入れ」
 答えつつ、相手がノブに手をかけたタイミングを計っていきなり扉を開けました。引っ張られてバランスを崩した元述は、待ち構えていた文秀の胸に倒れ込むような形で飛び込んできました。
 驚きの声を上げる元述を両腕に抱え込んで部屋に引っ張り込むと、文秀は背中で扉を閉めました。軽く笑声を立てながら、顔を赤くしてもがいている恋人の顎に手をかけ、親密な挨拶を交わそうとして――
「? どうしたのですか、将軍」
 急に凍りついた文秀の顔を見つめ、元述は訝しげな顔をしました。真っ黒な目を瞬かせて首を傾げている様は、あどけない子供のようです。
 その首には、太い革のベルトがしっかりと巻きついていました。