数ヶ月前に官位についた男が、文秀に贈り物をよこして来た。
正直なところ、文秀は官位につく者からの賄賂にもとれるような贈り物は受け取らない質ではあったのだが、よこされた内容が本物の茶菓子では賄賂という意味合いでもないだろうと、素直に受け取った。
「これが…、菓子だというのか?」
西洋の菓子も、ジュシン国にはなかった姿形と味ではあったが、贈られた菓子はこれまた違うもので、文秀はまじまじとそれを見る。
「はい。ジュシン国よりも東に位置し、海を隔てた先にある、極東の伝統的な菓子らしいです」
官位から説明も受けて来たらしい文官に、文秀はそうかと短く答えた後、かなり興味をそそられたのか、この菓子についてあれこれと質問を始めたのだった。

「…え、これが食べ物…、菓子なのですか!?」
目をまんまるにして驚くのは、ジュシン国最強の称号の「郎」を持つ、元述であった。
歳相応な表情になった彼の目線の先にあるのは、綺麗な器に乗せられた、花や草である。
正確には、この花や草は極東で言うところの「練り切り」と呼ばれる菓子であった。
「ぁ…、これ、この花! 知ってます! 菊っていうんですよね?」
細かくハサミを入れられて細かい花弁を再現されている菓子の一つに、元述はヒートアップしていく。
「どうだ? まずひとつ食ってみろ。」
文秀は面白いものを見せてもらった礼だというように、元述の手を掴み、鍛錬を怠っていないのが分かるその手のひらの上に菓子の一つをぽんっと乗せた。
「えぇえ! そんなもったいないです!」
思った通りの元述の反応に、文秀は吹き出した後に馬鹿笑いに近い程の声を出して笑う。
「いいから、いいから。その菓子は目で楽しんで、味わって楽しむそうだ。」
お前はもう十分に、目で楽しんだだろう?
そう付け足せば、元述はもう一度文秀に確認した後に、躊躇をしながらもかぷりと少しだけかぶりついた。
「…ゎあ……」
人間驚いたり、酷く感動した時にはまともな声が出ない。
その通りに、元述は小さな歓声を上げた後は、まじまじと自分の歯型が付いたままの練り切りを見つめる。
「どうだ?」
「え? これは本当に食べてよかったのですか!? 口の中にいれたら雪のようにさら〜って溶けちゃうんですよ!? なのにとても甘くて、おいしくて! 西洋の菓子はいつまでたっても口の中はその味でしたけど、この菓子はさっきまであったのがもうないというか…。」
一生懸命に文秀に説明しようとする元述に、文秀はククク…と意地悪く笑う。
「ぁ…、将軍…。もしかして、また俺をからかって楽しんでますか?」
やっと文秀の状況に気が付いた元述は、少し頬を膨らませるようにして怒った表情を見せた。
「いや、すまんすまん。俺の聞き方が悪かったな。悪かったと思ったんだが、おまえの熱弁を奮う姿が可愛くてなぁ。」
「ッ、将軍!」
悲鳴を上げるように文秀の言葉を中断させた元述は、すっかり頬が紅潮している。
「…そういう所が本当に可愛く見えるんだから、仕方がないだろう? まぁ、許せ。」
文秀に「許せ」などと言われてしまえば、元述はこれ以上怒る事も出来ない。
それでもどこか不服を感じる元述は、まだ少しだけ頬が膨らんでいる。
そのどこか幼い仕草に、文秀は笑みをこぼしながら元述の頭を怒りが納まるようにと願いながら優しく撫でてみせた。
「さっき聞いたのは、おまえにとって『うまいか』『まずいか』が知りたかっただけなんだ。からかっちまった詫びに、この菓子に合うように茶をいれてやるから、そこの椅子をこっちに持って来て座ってろよ。」
文秀が指した方を見た元述は、確かにそこにいつも借りている椅子があったのだが、それよりも文秀自らお茶をいれてもらうなどとはとんでもない事で、元述はダメですと慌てる。
「これからいれてやる茶は、いつも俺たちが飲んでいるのとは違うんだ。さっき文官に教えてもらったから安心しろ。」
そう言った文秀は、元述を部屋に残したまま出て行ってしまう。
「………」
パタンと閉められた扉を見た後、元述は言われた通りに椅子を運び、改めて器に盛られた練り切りをじっと見る。
「本当に…綺麗だなぁ…」
西洋菓子は現実にない夢の世界の食べ物だとすれば、この極東の菓子は自然界の姿を菓子として現せたものだ。
先程のかじった菊の残りをぱほりと口の中に放り込んだ元述は、確かにすごく甘いのにさっぱりとした口あたりのこの菓子に、じ〜んと再び感激する。
そこへ意外と早く文秀が戻って来た。
「なんだ? もっと食っていいんだぞ?」
器に乗っていた練り切りが、先程元述に渡した分だけしか減っていないのを見た文秀は、律儀な奴だと苦笑する。
「この茶を飲みながら、菓子を食うとうまいらしい。」
「これ、お茶なんですか?」
手渡された大きい茶碗に入っている、細かく泡だった緑色のものに元述は驚く。
「そうだ。抹茶というらしい。ジュシン国じゃこんな風に飲むことは、まず…ないな。」
「…い、いただきます。」
濃い緑の香に、元述は漢方薬を連想してしまい、つい口篭ってしまう。
「少しずつ飲むんだぞ。いっぺんに飲むもんじゃないそうだ。」
文秀にそう言われ、元述は少しだけ口に抹茶を含むと、思っていた以上の苦さが口の中へと広がる。
「! に、にが…」
これのどこが美味しいのだろうかと、元述は恨めしそうに茶碗の中の抹茶を見る。
この苦さは、本当に薬のようだと思う。
「苦いか? これでも慣れないうちは薄くていいと言われたから、薄くいれたんだがな」
そう言う文秀に、元述はこれで薄いのかと驚く。
「そんな顔をするな。この茶はな、この菓子を食って飲み込んだら、少しだけ飲むと丁度良いそうだ。本来は、茶室とかいう部屋で数人で一つの茶碗に入れられた茶を飲むらしい。作法もあるらしいぞ。とは言っても、また聞きのようなもんだから、どこまでが本当かわからんがな。」
文秀の説明を聞いた元述は、勧められるままに今度は紅葉したもみじを再現した練り切りを手に取り、ぱくりと食べる。
そして言われた通りに、口の中に甘い感覚がある内に恐る恐る抹茶を飲んだ。
「あ…、本当だ…。すごく美味しいです!」
先程あんなに感じた苦さは少なく、どちらかというと丁度良い。
しかも、濃い緑の香としか認識出来なかったお茶の香が、丁度良く口内に広がってなんともいえない。
「そりゃぁ、よかったな。」
優しい笑みを浮かべる文秀に、元述はつい見とれてしまう。
「そんなに熱心に見なくても、ちゃんと菓子はおまえにやるぞ?」
「え? あ…っと、そういうんじゃなくてですね…」
文秀に言われた事が、自分が思っていたような事ではなかった為、慌てて否定をしようとする元述であったが、それでは自分が文秀に見とれてましたと言わなくてはならず、どうしたものかともごもごと口篭る。
「えーっと、えーっと、なんでもないです!」
結局出した結論が少し大きな声になってしまい、文秀はその声に目をぱちくりと瞬かせた後、優しい笑みを浮かべて「そうか。」と一言だけ言った。